自分の姿を見るために
他人は自分を映す鏡だと言われるけどそれは違うと思う。だって僕が映った姿じゃないから。だから人はそれぞれが絵の具だと思う。白い紙に白い丸を描くためには白以外の色を塗るように自分じゃない人と関わるから人は自分がどんな人なのかを知ることができる。人が一人ひとり欠け替えの無い存在であることもそれが色だからだと思う。誰かが死んでしまうとその人の色で描くことが二度とできなくなるということで、どれだけ似通った色に見えても十人十色とはよく言ったものだ。昔の人は賢い。
アフリカのどこかには「老人の死は一つの図書館が失われるということだ」という意味の諺があるらしい。僕たち一人ひとり何色もの絵の具だし沢山の本棚だ。人生で読んだ本が全て同じ他人なんてどこにもいない。人はみんな尊い。だから誰も死なないでほしい。人に殺される人がいること、自分で死んでしまおうと思ってしまう経緯、そういう悲しいことが何千年かかってもいいから少しずつ減っていって何も悲しくない世界が遠い未来に本当のことになっててほしいなって思う。人に優しく、無理ならなるべく遠ざかろう。誰も死なないでね。
話が逸れたけど自分が何者なのかを知ることは難しい。それができているならその人は生きていくために必要なことと不要なことが他の人よりはわかるのだろう。自分の進む道と来た道がわかる人のことを自分のことをわかってる人だと言えるのかなって僕は思う。それはとても難しい。だから誰かが必要だ。必ずしも人じゃなくてもいい。小説や音楽、自然の景色、草花や鳥や動物、天気や季節の移り変わり、自分と関係のある存在ならなんでもいいと思う。何かと関わろう、部屋の中は狭いから。自分の頭の中で迷子になってしまうときは頭の外に出てみよう。それは映画でも音楽でも本でも絵でもなんでもいい。自分の外ならなんでもいい。狭いところは窮屈だから。
もし突然目隠しをされたとして、すぐさま走り出すような人はいない。まずは動かず何が起きたか聞き耳を立てたり手探りで確かめる。自分が見えないときは慌てずに確かめよう。確かめるために自分ではない何かを見聞きしよう。
この記事を読んでくれたあなたの気持ちが少し軽くなれば嬉しいなと思いながら今夜は眠ろうと思います。
おやすみなさい。また明日。
何不自由なく虚無
こんなことを言っても何の足しにもならないが現代が暗く人口が減ってる理由について僕なりに考えてることを述べる。
現代人は本質的に虚無を生きている。自分に課せられていることが何も無い。現代以前に人が子を産み育てたのはそうしないと困るからだ。農業には人手がいる。病気や怪我ですぐ死ぬ時代は子供をどんどん産まないと人手が足りず働く者が足りなくなりすぐに飢える。でも現代は違う。働かなくても飢えないしすぐに死なないし子を産み育てなくても飢えない。人がいらないのだ。自分がいらないと思って生きていくことより虚しいことは無い。ただそれだけだ。
だから僕は死にたい。
第二次性徴、お前は誰だ?僕は僕でしか在り得ないからこそ
性別は本当に不自由だし人間は肉体という窮屈な檻に閉じ込められているか、その窮屈さに対して鈍感であるかであって、結局死ぬまで外に出られる機会を失う哀れな(そして愛されるべき)生き物なのだなと尽く尽く思う。
人のほとんど誰しもが自分の望む姿ではない姿で生きているのだろうと思うけど、僕にとっては第二次性徴を迎えることが本当に嫌だった。尊敬する父の持つ格好の良い姿は文明に明るい山賊のボスのような見た目をしていて、187cm82kgの岩山かのごとき存在である彼の姿に近づいていくことは、僕にとって必至の未来であったから至急避けなければ到達してしまう悪夢のような未来であった。
小学6年から中学1年の冬までの間、肉体的な性別に反するホルモンを投与するべきか否かの検討を常に行い、最終的に僕が取り得る選択肢は二択で《望まない姿》もしくは《なり損ないの姿》だろうと諒解し、現在の道を歩んでいる。
なれなかった自分の魂を鎮めることは幼少期や思春期のあなたや私に対してできる、たった一つの愛だと思う。だからどうかあなたはあなたの自分を愛してください。僕にとっても難しくあなたにとっても難しかろうが、してあげられるのはそれくらいのことで、己の中で今も大きく泣きじゃくる小さな子供が寂しいままで、彼らを無視してしまうとあなたも彼らも報われないから。
お読みいただきありがとうございます。 感傷過剰な文章になってしまいました。 みんなが報われますように。
人間に憧れて
自分が人間だという確証が未だに持てない。小学生の頃に薄っすらと自分は普通じゃないのかなとか普通ってなんだろうみたいなことを考えていた記憶がある。母曰く僕が2歳か3歳の頃に「この子を他の子と比べたり普通が何かとかは考えない方が良さそうだ」と思っていたらしい。成人して障害者手帳を申請するときにそう言われて拍子抜けしたように覚えている。
人の気持ちがわかっていないと言われることは多かったし広汎性発達障害の診断も下りてるし、しかしそんな自分が情けないという気持ちや寂しいという気持ちはあったし、とにかく人の心がわかりたかった。勉強や研究や試行錯誤の甲斐あって人の心がわかっていないと言われることは殆ど無くなった。寧ろ人間らしい人だと言ってくれる友人もいる。最近「僕は人間のオタクです」と自嘲じみた自己紹介をしたり、友人から悩み事の相談を聞いた際に「僕は人間のオタクだから人間のわからないことなら僕に聞いてくれ」などと嘯いたりもする。だけどやっぱり今でも、僕は人間なのかとか、人として自然な振る舞いが出来ているかとか、この感情や考え方は人間らしいものなんだろうか、不安は絶えない。
誰しもとまでは言わなくとも似たような悩みを持つ人は僕以外にも沢山いるのだろうと思う。多分僕は死ぬまで自分が人間なのかどうかを問い続けると思う。そしてその答えが出なくともそれに答えが無かろうと、持って生まれたものだから仕方が無いことだと思う。せめて僕のこの感覚が誰かの邪魔をしないよう、なるべくなら誰かの役に立てるよう思う限り、苦しくて悲しいけど意味のないものではないのだと思う。
読んでくれてありがとうございました。
プログラミングを始めた頃の記憶
僕がプログラミングを始めた2004年頃のインターネットなんぞにはプログラミングの情報がほとんど無くてプログラムの読み書きを勉強するためには数千円する分厚い本を買う必要があった。バイト禁止のぐっちょむ15歳にそんな大金は用意できないため唯一の無料情報源であるネットの文章を読み漁った。何もわからん。
知らない言葉で説明される知らない知識についてほとんど何も理解できないまま何十回も繰り返し読むのを数ヶ月間繰り返しながら、変数って数じゃなくね?関数も数ではないが??変数は箱で関数も箱???配列????オブジェクト指向?????既存のプログラムを"少し"改造しようと思っただけだったのに……。
メモ帳でソースコードを開いてFirefoxでネットを調べる生活を始めてから半年、サクラエディタで色分け表示されたソースコードに感動したり、やっぱり変数って数ではなくない??と混乱しながらBASICやLua書いたりしてたけどプログラムより漫然と2chで常駐スレにレスしたりゲームする時間が大半だった。
何故こんなことを思い返してるのか忘れそうになってた。僕が最初にプログラミングに入門した頃は関数を行ったり来たりするC言語が難解でBASICは各行が上から順に実行されるし必要なときにGOTO(!!!)で戻れるから初心者に優しい言語だなと思ってた。現代ならノーコードもしくはScratchから始めるといいよ。
("入門にはノーコードかScratchがオススメだよ"と書くだけでこの分量……?)

読んでくれた方々へ、思い出ばなしに付き合ってくださりありがとうございました。 ついでに僕の作ったプログラムのうち公開してるものを置いてあるページをご紹介しておきます。よかったら触って遊んでみてください! https://gutchom.github.io
猫が死んだ
去年、猫が死んだ。
父の実家で飼われていたその猫は、先代の猫が亡くなった後、祖母が当時もう閉まるところだった野菜市場から連れてきた子猫だった。祖母はこれまで飼ってきた猫にオスだったらチビ、メスだったらミーコと名付けていてその猫はミーコだった。祖母と祖父はミーコを飼い始めて数年で老人ホームにいる時間の方が長くなっていた。母は家を空けることが増えた祖父母の留守の間、ミーコの世話と畑の世話をする傍ら、地元を離れた僕にメールでその様子を知らせてくれていた。ミーコは人見知りで母の前に姿を現してはいたが撫でさせることはなく、僕や従兄弟が集まるお盆や年末年始になると、きまってどこかに隠れていた。たまに実家に寄った際、人気の無い時期に祖父母の家を訪れるとミーコは屋根の上や遠くに僕の姿を認めて、すぐにどこかへ隠れてしまった。
ミーコが父の実家で飼われてから、僕が東京へ出てから十年と少し経っていた。正月に母がくれた写真にはふかふかのミーコが映っていたが、先のお盆に実家へ帰省した際、綺麗な三毛猫だったミーコの毛皮はくすんでけばだっていた。例年なら我々や子供達を嫌って隠れるはずのミーコは頼りなさそうに母が座る椅子の下で丸まっていた。僕はとてもやるせない気持ちになってミーコが気掛かりで、皆も気づいていたとは思うが、誰もミーコの話はしなかった。外の日差しと対照に軒下の日陰のコンクリートはとても冷たく、それはサンダル越しにも伝わってきて、椅子の下に丸まっているミーコも寒々しく見えた。
ミーコの毛皮がボロボロなのは恐らくもう自分で毛繕いができなくなっていたからで、あんなに嫌っていたうるさい我々のそばで丸まっていたのはそれだけ心細かったからで、ミーコを可愛がっていた母にそのような説明をした後、背中からお腹から隅々まで温かいタオルで毎晩拭いてあげるようお願いして、僕は東京に戻った。
皆がお盆の帰省を終えて静かになった頃、ミーコは息を引き取ったらしい。母曰く、ミーコは皆に会いたかったのだろうと言う。僕にはそう思えないが、心細かったろうミーコのことを考えるに、最期に母がタオルで拭って世話をしていた時、少しでも子猫の頃のような気持ちで安心できていればいいなと思った。
ぐっちょむという場所について
2009年にぐっちょむというハンドルネームでツイッターを始めてから14年が経った。今回は僕にとってぐっちょむとは何なのかということについて書こうと思う。
ぐっちょむとは何なのかを僕が説明するならばそれは一言で表すと場所である。ぐっちょむは場所なので色んな人が来たり去ったり集まったり顔を合わせたりする。休みに来る人もいれば疎遠になった昔馴染みと会うために再来する人もいる。また場所であるからには来る者を拒まず去る者を追わない。しかし場所であるからには雰囲気や特色も持っている。だけど何もしないということではない。そもそも僕は人間だからね。
例えばある人はツイッターを辞めたものの何年か経ってまたアカウントを作り直したがみんなの名前を忘れてたり転生や改名をして誰が誰だかわからなかったりツイッターのどこにいるのかわからないからまずはぐっちょむアカウントから探しに行くと言っていてそういう人が何人かいる。
これからもみんなが楽しくのんびりわいわいできる交流の場として存在していたいと思う。
というわけなのでみなさん末永くよろしくお願いします。