脳内模写

言葉で描ける考え事の断面。

水の奴隷 後編

役場の復興から半年後、サフル、ユヌラ、タムリの三名は数十名の白い砂を作る者の統率係として文字を覚える勉強をしていた。彼らは文字の種類、それを綴る順番、石版に記す作法などを学んでいた。三人にとって新しい知識は刺激的でこの勉強を苦痛と思う者はいなかった。彼らは物覚えが良く、予定より早く役場の仕事に戻れそうであった。タムリは言った。

「サフルよ、まさか我らが役人になる日が来ようとは考えもしなかったな。」

「タムリ、役人になるのは文字を覚えてからだぞ。気を抜いてはならぬ。」

ユヌラが言ったのでサフルもそれに合わせた

実のところサフルは二人と違って少し気が引けていたのだ。役人見習いになってからの毎日は悪いものでは無かった。身分は奴隷なので生活は相変わらずであったし、以前タムリと話した役場の中も見れて良い経験が出来たと思っていた。しかし、自分はあくまで奴隷であり、この身分がしっくり来ていたのだ。汗を流して働き、自由に絵を描き歌を歌う。家に帰れば妻や子供とその日にあった事を語り合う。この生活がずっと続くものだと思っていた。役人になったらどうなってしまうのかが気掛かりであった。

かの国の人々は事変ののち暫く動揺していたが、やがて水の配分が再開すると落ち着きを取り戻した。人々の数が減った分、各人に与えられる水の量は5ルインずつほど増えていた。その為、人々の生活は以前より活気付いたと言えるほどであった。敵国の侵入者が破壊した物の修復や、新しい生活を始める人々の為の需要が増えたのもそれを後押ししていた。水を持つ者の防備も反省に基づいて強化されており、もはや傷痕は回復したかに見えた。

日の高さが低くなる頃、サフル達は役人になった。役人の仕事は、政治家や水を持つ者から受け取る書物に則って水の配分を管理し、その指示を奴隷に伝えて仕事を与えるという物であった。元から居た役人達の傷はすっかり癒えていたのでサフル達は彼らと一緒に仕事をこなすことになった。分からぬ事は彼らが教えてくれるし、奴隷からの信頼も厚かったので新しい仕事は順調に進んだ。サフルが気に病んでいた暮らしの変化も特に起こらず、一日の終わりには我が家に帰って家族と食事を共にする事が出来た。そして夢に見ていた1ルインの水をグビりと飲む日が遂にやって来た。ただし歌と絵は禁じられ、子供は将来奴隷ではなく役人になる様に決められた。

サフル達が役人になる頃、政治家達の間で疑問が生まれた。人々の数が減って水の配分が増えたのは皆の知る所であったが、計算した量と食い違いが生まれるのだ。現在の配分から逆算して水の総量を割り出すと、以前の量より明らかに多いのだ。どうしてこのような現象が起こったのか。もしかすると事変より前の役人は水を横領していたのでは無いかと言う者まで現れた。一度生まれた疑念は大きく膨らみ、噂は市民を始め全ての階級の人々に広がった。当然サフル達の耳に入るまで時間はかからなかった。

「あなた、人々の間でよからぬ噂が広まっているそうよ。」

「ああ、我らも知っている。役場もその話で持ちきりだ。今は事実を調査する為に仕事が増えて困っているよ。」

「それは大変ね。あなたに災難が降りかからなければ良いのだけれど。」

「そうだな。しかし我らの仕事は確かだ。いずれ噂も収まろう。」

ユヌラは調査係の指揮を執っていた。政治家と共に古い役人の話を聞き取り、現在の役場の状況、記録に残された役場の状況と照らし合わせた。丹念に調べたが、どうしても計算と現状が食い違うと言う結果だけが残された。時間が経つに連れて政治家達の苛立ちは大きくなっていった。それは市民も同様で、一刻も早い原因の究明が求められた。

サフルが役場での仕事を始めようとしたある朝、タムリの姿が見えない事に気がついた。役場の者に聞いたが誰も知らないと言う。午後になっても現れないのでタムリの自宅まで向かう事にした。