脳内模写

言葉で描ける考え事の断面。

基本的に俺は善悪を意識しない。分からないから。何が善で何が悪かなんて、y=ax+bのxに何を突っ込むかの問題で、重要なのは公式の方である。最終的に変数に代入する値はTPOに応じて変化する。だから俺の頭の中には公式の山しか存在しない。あとは好み。好き嫌い。でもこれと公式たちは切り離されている。俺の頭の中の数式たちは、誰かから、どこかから仕入れた値を代入して、結果を弾きだす。だから誰かがそれを罪だと言えばそれは罪になるし、言われなければ分からない。分からない。人間たちがどうして揉めるのか。何に怒るのか。何に喜ぶのか。根本が理解出来ない。俺の頭の中には公式しか用意されていない。経験に応じて変数に値を代入して結果を予測する。しかしそこに俺の感情は無い。主観-サンプルの偏り-は存在するが、俺の意見というものは殆ど表明されない。好き嫌いを言ったとしても大体がその場しのぎの相槌代わりである。俺には何が善で何が悪かを判断することが出来ない。世間で言われてることを自分なりにサンプリングしてリミックスしてみて、実験と観察と反省を繰り返して経験を得ることで獲得されるのは、それがどうやら善悪の基準らしいという非常に曖昧模糊な物である。とにかく俺は何が良い事で何が悪いことかは分からない。一つだけ言えることは、とにかくこの実験を続けるためにも自分、世界、他者、存在を善と思うこと。増殖、変化、多様化は善であると思うこと。これだけを教義に俺は死なないために生きる。そして実験を繰り返してこの世の、途方も無い仕組みを少しでも多く知り得ることが俺の喜びである。


初めは俺の犯した罪らしきものへの贖罪を行おうと思っていたのだが話が飛んでしまった。兎にも角にも俺は俺の言いたいことしか言えないようである。