脳内模写

言葉で描ける考え事の断面。

僕と性別。

物心がついた頃、つまり、思い出せる中で一番古い記憶の一つ、恐らく三歳になるかならないか、そのときに見聞きし、考えたことを今でもはっきりと思いだせる。
「テレビに映っている女の子のドレスを着たいなぁ」
女児向けアニメの衣装か何かだったと覚えてる。かわいい服を着れたらどれだけ楽しいかなだとか、僕もあんな風になりたいなだとか、そんなことを考えていた。でも、それはおかしいことだから親に言うと困らせる、と思い込んでしまい、黙っていた。

ところで、僕は自分を女だと思ったことは一度も無い。ただ、男であることには強烈な違和感がある。

男として扱われることが苦痛だった。「男らしくしろ」「男なら」「男の子なんだから」そんな台詞を聞くたびに嫌悪感が襲う。いまでもそうだ。でも当時の僕は、男だから女のような言動をしてはいけないし、そうすると僕の秘密が知られてしまう、そう考えて女の子のするような言動や素振りは微塵もみせないように自分を隠して抑えつけていた。
だからトイレは座るようにと言われても頑なに立って用を足したし、本当は履きたいタイツを履かされたときはパニックになって泣きながら抗議した。

そうして、自我の芽生えと同時に誰にも言えない秘密を勝手な思い込みから作ってしまった僕は、それだけは何としても気付かれまいという思いから、人に本心から接することができなくなってしまった。親、親戚、友人、ご近所さん、学校の先生、誰と話しても根っこに本心を隠しているという後ろめたさがあったために、心を開くことができなかった。そして、誰も僕の考えていることなんて気付いてくれないんだと拗ねていた。人との関係性が上っ面を滑っていた。

もちろん、四六時中そんなことを考えていたわけでは無い。でも、心の隅にはいつも淋しさが付き纏っていた。
「誰か僕のことに気が付いて下さい」
ずっとずっとそう思っていた。
そこまで必死に隠す必要があったかなんて、単なる僕の思い込みに過ぎなかったのは確かだ。でも否定される排除されることが怖かったし、気を使われたりするかもしれないというのも嫌だった。
かつて、僕は人を信じていなかった。僕が思っていることを素直に言う勇気が無かったからだ。そのせいで独り思い悩んでいた。でも、大人になるにつれて多くの人と接して様々な価値観に触れたり、幸いにも周りに僕を認めてくれる人がいたからこのことを人に言う勇気が生まれた。だから今こうしてこの文章を書いている。

今では、誰にでも明かせるというわけでは無いものの、特に言う必要も無ければ隠す必要も無いという考えに至ったし、否定したり気味が悪いと言う人がいようとそこまで気に病むことは無くなった。
昔とは違って、僕に女性的な面があると言われると素直に喜べるし、むしろ不自然にならない範囲で女性的な振る舞いをしたいと思う。それに合わせてか、男性としての自分への嫌悪感も昔よりは薄らいだ。昔は男の荒いノリに違和感があったり怖かったりしたけれど、今では馬鹿な友達といるときなら積極的に男らしく振る舞うことにも抵抗は無い。
というのも、性別に関係無く僕は僕であると胸を張って言えるようになったからだ。


ただ、それでも、それでもやっぱり、僕は女の子になりたかった。
だから今は女装をしてかわいく撮れた写真を公開するし、過去にはツイッターで僕が男性だと思われないような文章を心がけていた。それがせめてもの抵抗で救いだったから。

いつまでこの悩みが僕を苦しめるのかは分からない。恐らく一生つきまとうだろう。
ときには殺しにかかってくることもある。本当につらくてつらくて負けそうになる。

ただ、僕は僕として生きるしか無いということだけが確かだ。
だから、これを読んでくださった人にはこれからも今までどおりに接してもらえると嬉しい。
僕の望みは、ただ、僕がこういう人間なんだということを知ってほしかっただけなんだ。

お読みいただきありがとうございました。