脳内模写

言葉で描ける考え事の断面。

何が僕を死なせようとするのか

 たまらなくつらくなる時が度々訪れます。そんな時に何を考えているのか。自分でも分からないけれど出来るだけ、整理してみれば少しは気持ちが軽くなるんじゃないかなと思ったので、書いてみます。

 死にたいだなんて考えることには何の生産性も無く、ただただ日々を無為に過ごしてしまい、進んで行く人との距離が開いていって、それだけなのは分かってるんです。分かっているし、それがまた僕をつらくします。だけど僕は弱いから立ち止まってしまうのです。無力感、罪悪感、恥、恐れ、不安。

 僕のやりたいことを僕よりもすごい人が僕が考えもみなかったやり方で実現したり実践していて、そんな人のことを考えると自分はなんなんだろうと存在価値を疑ってしまいます。でも、君のおかげで助かったと言ってくださる人もいて、それが嬉しくてたまらなくって、涙が出てしまうこともよくあります。そんな人たちがいるのに、自分が無価値だなんて言ってしまうのはとても失礼なことだと思うんです。敬愛するハンス・ウルリッヒ・ルーデルというドイツ軍で爆撃機の名手だった人が、自伝を結ぶ言葉に「真に無価値なのは己に価値が無いと思う者だ。」というようなことを記していました。そう、価値が無いだなんて思わずに少しでも前に進むしか無いんです。

 はぁ、少し楽になった。

 僕は人と関わるのが好きなのに、一方では人のことを怖れています。こんな自分が関わっていいのかな、みんなに嫌われないかな、どこまで自分を預けていいのかな、そんなこと考えて臆病になるときがあって、つらい気持ちになります。そんな時は、自分が勝手に考え過ぎないよう、気掛かりなことをしてしまった人に直接話を聞かせてもらいます。悪いことをしていたら悩むのではなく反省できるし、嫌われていなかったら安心できます。これも迷惑なことだし、相手を信用していないと感じさせてしまうこともあるとは思うんですが、勝手に悩んで落ち込んでかける迷惑とを天秤にかければ、まだこれでいいのかななんて思います。

 つらくなる原因に将来への不安もあります。僕は無力だとか、何事も最後まで責任を持って成し遂げてこなかっただとか、こんな甘えてばかりの弱い人間が自立できるのかとか、とにかく不安で頭がいっばいになります。でもこれも、ただ前に進むことでしか解決できないし、人を頼って、助けてもらって、安心して、いろんなことを教えてもらって、進むしか無いんです。

 「ああ、実家に帰って何もかも投げ出したい。」つらい時にはいつもそんな考えが脳裏によぎります。けれど、逃げるともっとつらい自分がそこで待っています。絶望のまま死ぬのか、苦しくても生きるのか、どちらもつらいです。それでも、生きていたらもしかすると何にも苦しまずに済むときがきっと来ると自分に言い聞かせて進むしかありません。諦めなければ、手を抜かず自分に甘えず人生を切りひらく意思さえ持っていれば、よくなるかもしれません。少なくともそう思わずによくなるとは思えないのでなるべく生きることにします。

 読んでくださってありがとうございました。