脳内模写

言葉で描ける考え事の断面。

旧い物事への愛情、新しい物事への希望

私は懐古趣味を持っていて廃れた物の哀愁を好んだりします。不便さの中に有る情緒が好きなのです。例えばネジ巻きの時計であれば、手間を掛けてあげないと動かない。つまり私を必要としている、そんな心持ちで愛情を注いでいるのです。しかしながらそれと同時に、私は進歩主義者でもあるので基本的に新しいものも好きですし、短所や危険性があろうと頭ごなしに否定したくはないと思っています。新しいものが旧いものを追いやる時「廃れ淘汰されるのは劣っているからだ」などとは考えません。新しい物事の危険性よりは可能性を支持したいと思います。要は楽天家です。紆余曲折があろうと最終的に未来は今よりよりよい世界になるのだと信じています。これはただの私の個人的な考えです。

私たちが生きて行くのは未来です。だから過去にすがり現在やそれからを否定するよりも、これから変わっていく事を考えるのが楽しいのです。一度生まれた新しい概念や技術を無かったことにすることは出来ません。ならばそれらを否定したいならそれらを凌駕する概念や技術を生み出せばよいと思います。「悪貨は良貨を駆逐する」少し語弊を含みますが、より時代に適した(便利な)ものが好まれる傾向にあるのは分かりますし、それによってどんどんと情緒は失われる様に感ぜられるのも分かります。しかし我々はそれでも進むしか無い。歩みを止めた人々は次第と精神が老いてゆき、老害と呼ばれるようになるのでしょう。私は嫌です。

ですから、新しい技術による危険性や破壊される情緒は単にそれを御する力が人々に無かったからであり、より理性的にそれらと向き合うことで新しいものの善い面を引き出そうとするのが私たちのあるべき態度ではないかと考えます。例えば核兵器原発を否定しようとも誰かが作ってしまいます。だから核兵器原発を否定し、全廃するよりは、それらをどう扱うのかを考える方が建設的だと思います。一度この世に出てきた物を無くすには、それらを陳腐化させるしかありません。無くせないのなら向き合わなければなりません。闇雲な反対運動を行う人にはこの様な視点が欠けているように思われます。

核問題に関する私の立場を述べますと、当面の安全が保障されるまで原発の稼働には消極的ですが、然るべき監視機関を設置し情報の公開を活性化させ、民間の草の根で(適切な方法による)観測を行うことで安全性や信頼性を回復させていこうと努めることが現状では妥当かと思います。国の問題は国民一人ひとりの問題です。だから誰もが当事者であるという意識を持つことがこの問題の解決への第一歩では無いかと感じます。

話を旧い物事と新しい物事についてへと戻しましょう。確かに新しく便利な物事は生活を便利にし、加速させます。それに疲れた人々が現れてからも久しいです。だから私はテクノロジと情緒を愛する者として、それらを融合させたサービスやアプリケーションを開発したいと考えています。期待してください。きっと良い物を作ります。