脳内模写

言葉で描ける考え事の断面。

無知の知について

無知の知とは何か?自分が無知である事を自覚して、もっと賢くあろうとする事。

賢くなるというのはどういう事か?正しい判断が出来ると言うことである。

正しいというのはその状況において適切であるということである。

しかし、何が適切かなど簡単には分からない。一見適切に見える判断でも振り返ると間違いであるという事はよく起こる。夜道で男性が女性を羽交い締めにしていたのでその女性を逃がしたところ、実はすぐそこのコンビニから逃げてきた万引き犯であったという具合である。しかし、もしこの女性が万引き犯ではない一般市民で、男性が暴行目的であったなら直ぐ様助けねばならない。まぁこんな風に適切な判断を下すのは時々難しい。

緊急時に何が適切なのかを考えるのは難しいが、日常でなら少し難易度は下がると思う。

例えばある特定のイデオロギーを信奉してしまう人がいるとする。その人の信奉するイデオロギー共産主義で、その人が教師やったとする。そうするとその教師は平等こそが正義!とか考えて運動会の順位を無くしたりするかもしれない。まぁ順番の無い運動会にも長所はあるかもしれんが、重要なのは「なぜその判断を下したのか」ということである。

人間がある判断を下す際には様々な材料に基づくが、特定の要素に偏ってはならない。先の教師の例では、教師がイデオロギーのみに基づいて順位廃止に至ったのか、それとも複数の見解に基づいた上でメリットとデメリットを天秤にかけたのか、また自分だけでなく他人の助言を参考にしたのか、そういう姿勢が問われる。

結局何が言いたかったのかというと、絶対的に正しい物なんてこの世にはまず存在しないから、常にその正しさを問いましょうねという事です。おわり。