脳内模写

言葉で描ける考え事の断面。

天命

現代日本は明治維新以降、都市化を進める一途であった。GHQ主導の農地改革はあれど、基本的に第一次産業の空洞化は進み、海外からの輸入に頼る構造は現在完成の域に達している。この状態に疑問を持つ人はいたであろうが、具体的な解決策を誰も示せないでいた。現在農林水産業従事者は高齢化を迎え、いよいよ最終局面を迎えつつある。

そして農漁村は荒廃し、その土地土地の文化も途絶えようとしている。断っておきたいのは、僕は都市化を否定するわけではない。それに対するカウンターの不在を問題視しているのだ。都市住民は余所から移り住んできて、土地に根付いた暮らしを営んでいない。

都市は高度な集積化と分業化を重ね最早人の手に余るものとなった。例えばコンビニ店員。彼らは人間でなくても用が足りる。自動販売機でも業務は成り立つのである。此をして僕は都市から人が失われたと考えるのである。

更なる例を挙げればあなた達が持つ携帯電話。これらは数万円で購入出来るが、これらの生産者の生活はそれで成り立つのだろうか?答えは分からないだろう。あらゆる物品やサービスはそれを産む人が存在し、その提供によって生計を立てている人が存在する。都市化によるシステマイズはそれすらも隠す。

また、国政。日本国民の代表者たる代議士が国会で日本全体の政策を決定するが、この広大な日本列島の北から南まで個性豊かな土地土地に見合った政策を彼らのみで立案し切れるだろうか?答えは否だ。その土地の政策はそこで暮らす人々の手で定めねばならない。

話を農漁村に戻そう。僕は都市化を否定するわけでは無い。しかし、人対人の繋がりは土着の人により醸成されるものであると僕は考える。そこで農漁村なのだ。その土地でとれたものをその土地で消費する。社会が限定された範囲なので生産者と消費者の距離が近い。

そして地域社会を維持するためには郷土愛が必要だ。コミュニティ維持の為に各人が責任を以て自治へ参加することとなる。ここで政治が民衆の手に再び還るのである。僕は資本主義国民国家という現行の政治経済体制に疑問を投げ掛ける。このままでは破局を免れない。

更に予想ではあるが、情報化時代の次には心の時代が訪れると考える。原始社会、封建社会産業革命帝国主義、経済成長、情報化と経て次のフェーズでやっと人類の幸福が指向されるであろう。

人の幸福は衣食住などの物質的豊かさ、娯楽などの文化的豊さのみでは達成され得ない。一人一人が社会へ責任を以て参加しているという自覚が必要なのだ。人間は元来じんかんと読んだ。この様にヒトが人間足り得るには人と人との繋がりが不可欠なのである。

加えて、文化というものは土地とそこに暮らす人々の間で連綿と紡がれる生き物である。聞き取り調査などでの伝承の保存は動物に例えると精子卵子の冷凍保存に等しい。生物はそこに根付く生態系そのものに価値があるのと同様に、文化もその土地の人々の暮らしと共に息づくのである。

人間というものはどのような事象に対してでも理由を求める生き物である。それは自らの人生に対しても例外では無い。何故自分はここに存在するのか?そして何を成すために生きているのか?その問いに答えるべく過去、人々は神話を作り伝承を伝えてきたのであろう。

それらの人文資源を守るためにも僕は田舎の価値を再発見し、人々に発信することを天命と心得る。以上、能書きおわり!