脳内模写

言葉で描ける考え事の断面。

破滅してしまう僕たちは

僕や僕の周りの人たちは生きるのが下手くそである。

下手なんてもんじゃない。時には生きられず死ぬ友人もいる。「どうして下手なのか、なんでもっと上手くやれないのか肝心なところでつまずくのか終わっちゃうのか進めないのか」そんなことをぐるぐると、今朝考えていた。それは、きっとこうなんだろうという思いつきからこんなツイートを書いた。



どうしてもこうしても上手に生きられないもどかしい友人たちのみんなというわけではないけれども、下手な人たちには緩やかにバレないようにと「死」が僕たちを引き込もうとしているのかもしれない。死神が憑いているとも言えようか。

しかし、やはり、単純に表現すると、「向いていない」という一言に尽きるのだと思う。
生きることそれ自体に不安を抱えてしまうから、僕はそれをぶち壊して台無しにしたくなって、時限爆弾を仕掛けるように自分の落ち度の貯金を増やそうとしてしまう。いつか溢れて死ねれば、勝手に、自動的に、意思とは関係なく、抗えず、しょうがなく、そういうふうな段取りを組めれば、なんていうか自由になれるのかもしれない。

しかしそんな馬鹿な話であればたまったものではない。
生きているからには生きなくちゃいけない。こんな最悪な理屈で動く宇宙に生まれて本当に嫌な気分だけど、ここでは楽しもうと思えば楽しいことができてしまうから、だから楽しむしか道は無いんだ。探して楽しむのか座して死ぬのか、その二択だ。

だから、生きている限りはどうか楽しく笑って暮らせるように、大切な人たちがそうであるよう願ってやみません。

どうか僕自身が誰かのそれの妨げになっていませんように。

追記。
文章の流れがめちゃくちゃで、話の対象が全体を通すと噛み合っていませんがご容赦ください。

友人たちが死んでいくということ

一昨年に友達が死んだ。去年にも死んだ。今年も死んだ。夏に死んだ。僕を慕ってくれていた友達たち。
何してもいいから死ぬのだけはやめてくれよ。

友達が死んでいつも思うのは全く慣れやしないということ。三人死んでも、一人の死は三分の一にはならない。一人一人が三人死ぬ。三倍だ。楽しかった思い出も申し訳ない出来事も、三倍だ。そして彼らとそれはもう話せない。何か楽しいことがあっても呼べやしない。面白いことを見せられもしない。ただ単に淋しい。いないことが淋しい。あいつがいれば、あいつがいれば、もっと何か、何でも、たくさんできたのに、ただ、そう思う。

僕も死にたいと常々思っているので責めようと思わない。「ご苦労様」としか言えない。人が死ぬのは不幸だ。その先の余生に何も見えなくなるのだろうかと僕は思う。満足して死んでくれていればいい。けれど彼らの最期の状況を聞くと本意だったとは思えない。虚しさが募る。

とにかく死なないでほしい。とにかく死なないでほしい。

僕は、満足して死にたい。人生に後悔が無いと思って生きているから。
それが自殺であっても。

信じるって

信じるということは頭の中に勝手な妄想を抱くこと。信じるということは相手の中に勝手な期待を寄せること。信じるということは。信じるということは何か。

時によってそれはとても重い存在だ。「君は賢いね」と言われれば賢くなんてないだとか、もっと賢くならなきゃだとか、少なくとも言われたことで縛られる。でもこれは的外れな場合。

時によってそれは救いにもなる。「君は賢いね」その一言で人を勇気付けることもある。その一言が勝手に決めたことが相手の新しい一面を開くこともある。

要は反感を買うかどうかだと思う。

死にたいを乗り越えた生きたさの先に待つ死にたい

死にたいと思ってるのはこの半年前から。

2015年12月、僕はいままで無理だと思ってた勉強が楽しくなった。そしたら何やら自分が成し遂げたような気になってしまい、結局全部がつまらなくなった。そういうことなんだろう。

面白いこと、楽しいこと、刺激、喜び、全部がなんだか嘘っぽいようなその場限りのような気になってしまう。
どこかで見たような気もするし、そのうちいつか見れるから今はいいやと思ってしまう。

とにかく生き抜くためのエサを探してる。

シェアハウス。

そろそろ一人暮らしがしたい。静かに暮らしたい。

シェアハウスで暮らしたのは2011年10月からなので、今は四年と少し。五年目になった。色々と経験できたし、住めてよかった。

半年以内には資金を貯めて一人暮らしに移ろうと思う。

人が命を絶つとき


人はなぜ自殺するのか、僕はなぜ自殺せず生きてこれたのか。

思うに、人は支えを失うと死ぬのだろう。
それは人や物や信念かもしれないし、他にも将来や過去や様々があるだろう。

ここからは僕の話になる。表題の「人が命を絶つとき」という事柄まで少し長いがお読みいただきたい。
僕は高校の頃に自分のアイデンティティーであったところの、学校での成績を失った。同時に、将来の夢であった機械工学のエンジニアになろうという夢を諦めた。そもそも、僕は極めてものぐさな人間で、生きていることが酷く面倒だと感じながらそれまでの十数年を過ごしていた。

高校の終わり、卒業間近に全てを捨てたら身軽になった。同時に、どうして生きているのかということが不可解な人間となった。不可解というのは、例えば道端に食パンが落ちていたとしよう。どうしてこんなところに食パンが落ちているのか不可解に思われるだろう。そのような不可解さを抱えて、空虚な自分を埋めるために何が必要かを考えた。当時は、目標と友人と自負が必要なのではと考えて、それらを手に入れようと行動していたのだと思われる。

一定数の人々は飲み会か何かの場で、その状況を楽しむ周囲の人や自分に対して一歩引いた冷めている自分を感じたことがあるのではなかろうか。大学の頃の僕は初めから終わりまで自分と、その状況もしくは現実に何とも表しがたい距離を感じていたように記憶している。それによる心の空洞と、虚飾と、意拳の無い意見が、自分を他の人間とは違った何か機械のようなものであるという考えに陥らせた。
本筋とは離れるが、高校生の頃から感じていた自分が発達障害を持っているのではという疑いが、その虚無に耐えられなくなりカウンセリングを受けた際に明らかになった。なお、僕が抱えていた虚無、というより何も抱えられなかったことについて発達障害は特に関係が無いと考えている。

そして、僕の意見には心が込められていないと気付いてくれる人たちが伝えてくれるごとに、僕が何も抱えていない存在であるという自覚が確信へと固まっていくことになる。
しかし今は、僕の心の空洞は幾分か満たされているように感じる。もしかしたらそれは錯覚かもしれないし、ただ都合よく空洞を忘れているか気付いていないだけかもしれない。

どうして僕の空洞は満たされつつあるのだろうか。ひとえにそれは感情について気付くことが、ある時点で行えるようになったからなのだろう。その時点以前の僕は、理屈を主にして物事を判断したり行動や表現をしていた。しかしその根底には自分の意思であるとか好き嫌いであるとか、そのような個性が伴われていなかった。
例えであるが、太郎さんと花子さんが喧嘩している場面で、太郎さんからどちらに問題があるのかという相談を受けたとする。主体性が無かったころの僕はこう答える。
「太郎くんにはこのように非があるし、花子さんにもあのように非がある。その原因としては、各々このような背景がある。だから、そのことについて考えればお互いを認められるかもしれないよ」と。
今でも別にこれは間違った返答だとは思わないし、むしろこのように分析的なことをその場にふさわしい口調で伝えるだろう。ただ、欠けていたのは、僕がそのことに対しての感想や感情や好き嫌いなのだった。
この例えだけで想像していただくことは難しいかもしれないが、ともあれ僕は分析をすれど自身の感情を述べることは無かった。あったとしても、相手が求めていそうなことを機械的に返していた。

そして、僕は客観性や公平性を捨て、自分の好き嫌いを第一に置いて行動や意見の表明をすることとした。なんとも幼かった僕には、自分に感情や好き嫌いがあることに気付いていなかった。今は理屈よりも感情を優先している。そうするとどうなるだろう。自分に対する不可解さが解きほぐされていった。

ここまで表題について述べていなかったので以下で触れようと思う。
人がその生きることについて支えを持つには、何か、人や信念や環境やその他の諸々に対して、自分の一部であると感じることが必要なのではないだろうか。そして、それを失うと人は死ぬのだろう。
自分のことを自分の思う通りにすることは難しい。そこで、人が命を絶たないようにするために、少なくとも僕は僕自身と切っても切れないような友人や環境を探し、求め、助けてもらってきたので今まで死なずに済んでいる。それができたのは自分の好き嫌いに気づき従うようになれたからだと思う。

この文章がぼんやりと死を考える人に届けば幸いである。
お読みおいただきありがとうございました。