脳内模写

言葉で描ける考え事の断面。

くしゃくしゃの菓子パン

ふと思い出したので書き残しておく。

僕の幼い頃から父は日本中の登山へ連れて行ってくれた。父は山を仕事にしている。日本のみならず世界中を飛び回っていた。 父が海外から帰るたびに母と空港へ迎えに行ったことを覚えている。もちろん日本中の登山で見せてくれた景色も覚えている。

そんな父は山に行くたびに多めの食料を持っていく。登山用のザックにぎゅうぎゅう詰めで入れられたパンはくしゃくしゃになる。 一緒に登っているときはいつもくしゃくしゃの菓子パンを家族で食べていた。その度にせっかくのキャンプなんだからこんな貧乏くさいパンを食べたくないなと思うこともあった。

父が仕事で山に行ったあとは決まって食卓の上にたくさんの菓子パンが並べられる。もちろん全部がくしゃくしゃだ。「えーっ、もう少し荷物の詰め方なんとかならないの?」と何度も聞いたけど、登山用ザックが大きくなるわけでもなく不必要に大きなザックを持てるわけでもなく、山のあとは母も僕も弟も父自身もみんなでくしゃくしゃになった菓子パンを食べる。

ついさっき、友達がおにぎりを潰したと言って部屋から出てきたときにふとこれを思い出した。 見てみるとおにぎりは見事にぺったんこだったけどまだ食べれそうで、いつも父が持って帰ってくるパンのことを思い出したのだ。

何気ないことだけどふと浮かんだこの懐かしい記憶を忘れたくないなと思い、書き残しました。

再上京のこと

昨年の確か12月7日に書き置きを残して実家を出た。東京を去るまで住んでいたシェアハウスにまた転がり込ませてもらい最初は日雇いバイトから生活を始めた。

実家を飛び出してしまったのは何歳になろうと親から見ると自分は子供で、ここにいては自分で自分を自己管理するのは無理だろうと思ったから。

実家にいると、何時に寝て起きる、お酒をどれくらい飲む、お風呂に入る、洗濯をする、何を食べる、といった基本的なことで親の世話になってしまう。だけど出戻りする前の僕はどんな面倒事でも起こしてしまう厄介な奴だったので何から何まで親が気にかけるのも無理はない。再上京後に人間らしい生活を送れているのは実家で生活を立て直せたお陰だから東京で破滅した僕に帰る場所を与えてくれた両親には頭が上がらない。

しかし地元にいて感じたのは疎外感で、同級生や幼馴染みたちが二人目の子供を授かるなか僕は出勤すらままならず実家の世話になってる社会不適合者だったし親族一同も皆まともな人間で、やはり僕だけがダメな奴だった。

去年はなんとか父の農作業を手伝ったり知り合いの会社に雇ってもらったりはしていたものの自分で生きているという実感は無く死なないための理由を探すのが生きてる理由という状態でとにかく東京が恋しかった。もし再上京できたら、今度は遊び呆けたり悪いことをしたり病気を理由に退職したり家事や食事を怠ったりしするつもりは無いから、今度こそは生活と精神の安定のために地道な努力を重ねていきたいから、それが自分を許せる唯一の方法だと思ったから、でもそんなことを聞き入れてくれる信用はとっくに失っていたから、と思って家出した。

再上京から半年、今のところ生活はできています。 これから先もずっと穏やかに暮らせるように努めています。

アカウントがロックされた

ぐっちょむアカウントが通報されました……。1週間先まで使えなくなるそうです。

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代わりに昔使っていたアカウント(https://twitter.com/mncmnp)を復活させることにしました。アカウントロックのタイミング的に死んだと勘違いされてしまいそうだと思ったのでこちらに書いておくことにしました。

1週間もツイッターが使えないのはつらいので反省してます。もう物騒なことを言うのはよそう……。

昨日の僕と鬱のときの僕へ。

とにかくつらくなったらこのページを見ろ!

昨日までは10日間出社できず毎日16時間以上寝て東京の友達とは離れて遠くに住んでる現状を嘆いてたけど今日は出社してそもそも10月中に2日しか出社しなかった僕を受け入れてくてれる後輩と友達たちの会社があって帰りに酒飲んでも4000円の出費以上はせず粗相もせず23時半より前に家に帰って絵日記代わりの落書き漫画を書いて楽しくツイッター見てツイキャスに行ったりしてまだこれを書いてるのは2時半過ぎで悪くないもんだなと思ってるんだから、人生はそもそもつらいものだし明日起きて明後日起きてその次起きたらもう脱力したり結婚の見込みが無いから実家を相続しようと全てが無に帰すのかと思ったりするだろうけどそのたびにこのページを見ろ!

忘れるな!

実家に出戻りしてからの話

2018年の4月末に東京を去った。6年半のシェアハウス生活が終わった。

6年半で3軒のシェアハウスで暮らした。ギークハウス水道橋、妖怪ハウス、サウ、他にも何週間か住んだり居候したりした。とにかく集住しながら東京に6年半暮らした。大学の在学期間より小学校より長い期間、東京で気の合う奴らと過ごした。

上京して最初のうちは全然ダメで、去る時も全然ダメで、結局全然ダメなまま実家に戻った僕だけど東京を離れる時には何故か婚約者がいて年収は120万程度で月収だと40万程度だった。でもすぐに出社できなくなるから全然ダメで、メンタルがとても弱くてすぐ根を上げてしまう僕はその当時の婚約者に限らず常に恋人の存在を精神の支えにしていた。そもそも僕は常に死んでしまいたいと思っている人間なので死なないように友達を作ろうと19歳の時に思ったのだ。自分が死んで悲しむ人が少しでも増えれば自殺を思いとどまるだろうと臆病な考え方で友達を作るように励んだ。

18歳までほとんど友達のいなかった僕だったけど東京から実家に戻る時には「ぐっちょむは顔が広いからな」と惜しんでもらえるくらいになった。そして東京を去って一年後には結婚したいと言っていた婚約者とは今年の4月に別れて今は無軌道な生活を送っている。どこに向かって行けば良いのか自分ではわからない。ただ死ぬことだけは今まで外していた選択肢の中からこちらを睨んでいる。

実家に帰って安定して家庭を持って……などと考えていたけどやっぱり甘かった。少し何かへこたれてしまうと0か100かで考えるこの頭が悪い。そしてすぐ扇動的で刺激的な方へ転んでしまう。なんとなしにヤケクソでただ破滅できればいいなと思うけど死ぬのは怖いという日が続いてる。僕はどうすればいいんだろうなあ……。

なんだかわからないけど人生は続いて行く。このなんだかわからなさがたまらなく苦痛で仕方ない。なんなんだ。なんなのかわかりたい。ただ続いて行くのが人生なのか?誰か教えてほしい。生きていればそれでいいと僕もついつい他人に言うがそんなことは無い。生きているだけでつらいんだ。

来週くらいには前向きな考えに変わっていますように、と自分をなだめて毎日寝ています。前向きになっていますように。

ブログを移行しました

二つあった古いブログから記事とコメントをこちらへコピーしました。

旧サイトは更新を停止しますがそのまま残しておきます。

脳内模写 -自分観察日記- (2010年2月18日 〜 2013年10月15日)

脳内模写 (2012年9月24日 〜 2017年4月10日)